■ 第1日目/日本・水戸→フランス・パリ(エッフェル塔) |
 | ここは,フランスの空の玄関口,シャルル・ド・ゴール空港。ちょうどいま到着したところです。成田を日本時間で午前10時に発ち,ここに到着したのがフランス時間で午後3時前です。水戸を出発してからほぼ16時間たっています。機内で眠ることはできますが,やっぱりみんな疲れ気味です。これからバスに乗り,パリ市内へ向かいます。 |
 | 空港からバスに乗り込み,まず初めにエッフェル塔に向かいました。ヨーロッパでは車は右側通行。バスのドアも日本とは逆側なので初めは違和感があります。さて,エッフェル塔ですが夕暮れ時になるとライトアップされ,昼間見る冷たい金属質の印象とはだいぶ違ってきます。 |
 | エッフェル塔の第2展望台まで上がりました。そこから見たパリの夜景です。エッフェル塔の高さは320m,第2展望台は123mの高さです。真っ暗になればもっときれいな夜景になるのですが,今回はちょっと時間的に早かったようです。 |
■ 第2日目/フランス・モンサンミシェル |
 | この日はパリをとび出して,世界遺産として有名なモン・サン・ミシェルを訪れます。パリから高速道路を利用するのですが,パリの市街地を出るとまわりにはずっとのどかな田園風景が広がります。フランスはほとんどが平らな土地で,山地は南部のアルプス山脈付近しかないそうです。モン・サン・ミシェルまでの道のりでも,ずっとなだらかな丘陵が続きます。 |
 | モン・サン・ミシェルは元々は海に浮かぶ孤島なのですが,いまは岸辺と堤防で陸続きになっています。ここは,その堤防の付け根に位置する集落です。ホテルもいくつかあるのですが,このときはオフシーズンのようで,ほとんどがしまっていました。暖かい季節はもっと賑やかになるとのことです。 |
 | これがモン・サン・ミシェル。日本人にもとても人気の高い世界遺産の一つですので,ご存知の方も多いでしょう。岩山の上に何百年もかけて修道院や大聖堂が築かれました。ちなみに,「モン」はフランス語で山,「サン」は聖,「ミシェル」は大天使の名前で,日本ではミカエルの方が知られているかもしれません。つまり,モン・サン・ミシェルとは聖ミカエルの山ということ。実際に,大聖堂のてっぺんにはミカエルの像がいただかれてます。 |
 | ここは大聖堂正面にある西側のテラスです。モン・サン・ミシェルはミカエルのお告げにより,8世紀に修道院が建てられ,それ以来増築を繰り返して現在の形になりました。このテラスも海面から相当高い位置にあります。この日は天気がよく,11月なのに暖かくて,大西洋をわたって来る風がさわやかなくらいでした。 |
 | ラ・メルヴェイユ(驚異)とよばれる大聖堂横の中庭です。岩山に築かれた建物の上にこんな立派な中庭があることは訪れる者を驚かせます。 |
 | ここは,大聖堂の麓に寄り添うように家々が集まってできた集落です。今ではみやげ物の店やレストラン,ホテルなどが営業しています。日本で言えば門前町ということになります。実は日本人観光客が多くて,あちこちから日本語が聞こえてきました。ここは,浅草かというような感じでした。まぁ,我々もその日本人の一部だったわけですが・・・。 |
 | モン・サン・ミシェルからパリのホテルに戻ってたところです。ホテルのレストランで遅い夕食をとりました。パリからモン・サン・ミシェルまでは片道で約370kmあり,バスで5時間ほどかかります。それの往復なのでみんなかなり疲れています。この日の夜は良く眠れました。 |
■ 第3日目/フランス・パリ(ルーブル美術館,凱旋門)→イタリア・ローマ |
 | この日はパリ市内を巡ります。最初はあのルーブル美術館です。あまりに広いので全て見て回るのに何日間もかかるといわれています。もちろん,時間の限られた修学旅行ではほんのごく一部しか見られません。しかし,心配ありません。ガイドさんはルーブルに来たら見逃してはならない絵画・彫刻のあるところをきちんと案内してくれます。これはあの有名なミロのヴィーナスの展示室です。(もちろん,あのモナリザも見てきました。でも,絵画展示室では写真撮影禁止なんです。)
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 | ルーブル美術館のエントランスホールです。あのガラスのピラミッドの真下になります。さすがに世界的な美術館で,いろんな国の人たちが大勢集まってきています。見ておきたいものはまだまだあるのですが,次の場所に移動しなくてはなりません。後ろ髪をひかれるような気持ちでバスに乗り込みます。
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 | この写真,どこだかお分かりですか。これは,凱旋門の真下からシャンゼリゼ大通り方向を見たものです。しばらく時間をとって,凱旋門付近やシャンゼリゼ大通りを少し散策しました。
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 | これがそのシャンゼリゼ大通り。凱旋門からコンコルド広場まで続くマロニエの並木道です。写真では手前が凱旋門で奥の方向がコンコルド広場です。パリの中心街で,とても華やかな雰囲気でした。この日のパリは晴天で,寒さはほとんど感じません。昨日のモン・サン・ミシェルでもそうでしたが,こちらも暖冬なのでしょうか。日本にいたときの方が寒いくらいです。
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 | パリ市内のレストランで昼食です。そろそろ西欧式の食事に慣れてきたころでしょうか。この日の夕方にはイタリアに移動しますので,フランスでの最後の食事になります。
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 | ここはコンコルド広場です。シャンゼリゼ大通りをはさんで,凱旋門と向かい合っています。パリにある広場の中でもかなり広いところです。18世紀のフランス革命の時にはギロチンが置かれたことで有名な場所です。フランスでの見学地はここが最後,この後イタリアに向かうため空港へ移動します。
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 | この日は,パリ市内観光の後,再び飛行機に乗りイタリアのローマへと移動します。ここは,1日目に到着したシャルル・ド・ゴール空港の出発ロビーです。ヨーロッパでは搭乗の際のセキュリティーチェックが日本よりはるかに厳しく,ここに至るまで結構大変な思いをしました。でも,搭乗してしまえばローマまで2時間ほど。機内からはパリのきれいな夜景を見ることができました。さらば,フランス。
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■ 第4日目/イタリア・ローマ(コロッセオ,フォロロマーノ,パンテオン,トレヴィの泉) |
 | さて,4日目からはイタリアです。まずはローマ市内観光で,初めにコロッセオに向かいました。これだけの大きさの建造物が古代に,しかも市民の娯楽のために造られていたとは,古代ローマの偉大さがなんとなく理解できるようです。一部が石材として利用するため持ち去られてしまいましたが,いまの時代まで原形がほぼ保たれており,地下の構造も良く分かります。 |
 | コロッセオのそばのフォロロマーノに移動しました。ローマは大まかに言えば中心に行くほど古い建造物が目立ってきます。このフォロロマーノはローマ市民のための広場だったところ。かつては元老院や様々な神殿が建ち並んでいたようです。かのカエサル,ポンペイウス,クラッススらが歩いたところと同じ場所に立っているのかと思うとなんともいえない気分です。
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 | パンテオン=万神殿です。ローマ皇帝ハドリアヌスによって建設が始められました。高さも、ドームの直径もともに42.8m。内部は神殿らしく厳かな雰囲気です。コロッセオを造り上げた技術も大変なものですが,この大きなドームを造り上げた技術も瞠目に値すると思います。
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 | 古代ローマでは水道が建設され,郊外からローマの中心部まで新鮮な水がひかれていました。その水道の終端にこのような泉や噴水が設けられました。その中でこのトレヴィの泉はよく知られたものの一つです。後ろ向きでコインを投げ入れることができれば,再びローマに戻ってくることができるといわれていますが,これだけ大きいのですから失敗する人の方が稀ではないでしょうか。
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■ 第5日目/イタリア・フィレンツェ(シニョーリア広場,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂,ウフィッツィ美術館) |
 | 5日目はフィレンツェにやってきました。ローマからバスの移動で4時間弱かかりました。でも,ここは時間をかけても訪れる価値のあるところです。フィレンツェといえばルネサンス。レオナルド・ダ・ヴィンチ,ミケランジェロ,ラファエロ,ボッティチェリなどの稀代の天才たちが犇めくように生活していた街なのです。街並みは当時から大きく変化していませんから,彼らが歩いた路地を我々も歩くことができるのです。彼らが渡った橋を渡り,彼らが見上げた大聖堂のドームを見上げることができます。フィレンツェとはそういう街なのです。
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 | ここはシニョーリア広場。シニョーリアとは政府庁舎のことで,後ろの高い塔をもった建物(シニョーリア宮殿,ヴェッキオ宮殿とも言う)のことです。14世紀に建てられ,フィレンツェ共和国の政府が置かれ,後にはメディチ家が住まいとしました。現在はフィレンツェ市役所として使われています。この広場は常にフィレンツェの中心なのです。
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 | 左側の建物はギベルティの天国の門で有名なサンジョバンニ洗礼堂,中央はフィレンツェのシンボル,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂,右の塔はジョットの鐘楼です。大聖堂は1296年に着工し,1400年代にクーポラ(円蓋)がかぶさり,建物としては一応の完成となりました。しかし,今見えている正面のファサードが完成したのは19世紀末で,現在の姿になるまでに数百年の年月がかかっています。
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 | サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラです。直径は43m,高さは115mあります。この大聖堂は都市国家としてのフィレンツェの威信を示すため,大規模なものです。その大きさゆえ,上にかぶせるクーポラの直径もそれまでになく大きく,また非常に高い位置に建設しなくてはなりませんでした。高度な技術が必要なため,クーポラだけはなかなか建設できませんでしたが,それを可能にしたのが,天才建築家といわれているブルネレスキです。完成した姿はその壮麗偉大さのため,「その建物は天にも迫り,その影は全トスカーナを掩う」と評されました。
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 | 大聖堂の内部です。外部の壮麗さとは対照的に落ち着いた感じです。クーポラを建設したブルネレスキは元々彫刻家でしたが,自分の腕前に見切りをつけ建築家に転じました。ローマに出て古代建築を学び,フィレンツェに戻りクーポラの建設を託され,見事成し遂げました(ローマ・パンテオンのドームも参考にしたようです)。クーポラの内側には後にヴァザーリが「最後の審判」を描きました。ヴァザーリは「芸術家列伝」を著し,ルネサンス期の活き活きととした有様を青史に残した美術史家としても知られている人物です。
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 | ここは,ルーブルと並び世界的に有名なウフィッツィ美術館です。建物は引き伸ばされたコの字型をしていて,ちょうど建物に囲まれた中庭が見えています。奥に見えるのはシニョーリア宮殿です。ウフィツィとはイタリア語で事務所のこと。ここはトスカーナ大公としてフィレンツェの君主となっていたメディチ家のコジモT世が,ヴァザーリに命じて建設させました。各所に散らばっていた役所や同業者組合の事務所を集約して行政の効率化を図るのが目的でした。現在は美術館となり,ボッティチェリの「プリマヴェーラ」やダヴィンチの「受胎告知」など,イタリア絵画の珠玉の名品が収められています。
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■ 第6・7日目/イタリア・ヴァチカン市国(ヴァチカン美術館,サン・ピエトロ大聖堂)→日本・水戸 |
 | さて,いよいよ修学旅行最終日です。この日はヴァチカン市国を訪れます。ヴァチカン美術館→システィーナ礼拝堂→サンピエトロ大聖堂の順に回ります。まずはヴァチカン美術館の見学です。ここも有名な美術館,世界中から観光客が集まります。入口前に行列ができるのがあたり前で,これに並ばないと中には入れません。運が悪いと1時間以上待たされたりするそうですが,今回は15分くらいで入場できました。入場してすぐのところ(ピーニャの広場)でシスティーナ礼拝堂についての説明を受けます。礼拝堂の中では静粛にしていなくてはならないので,みんなここでガイドさんの話をきいて中に入ります。説明されたこと,覚えていられるかな?
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 | ヴァチカン美術館では内部に描かれている壁画そのものが芸術作品です。ここはラファエロの壁画「アテネの学堂」(左側)がある部屋です。中は観光客でごった返しております。このような素晴らしい壁画がある部屋をいくつか通り抜け,システィーナ礼拝堂(内部は撮影禁止なのでここでその様子を紹介することはできません。ミケランジェロの壮大な天井画や,「最後の審判」で有名です。)を経由してサンピエトロ大聖堂に向かいます。
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 | いよいよ,ローマ・カトリックの聖地サン・ピエトロ大聖堂に入ってきました。世界有数の規模を誇る大聖堂だけあって,文句なくでかい。天井も高い。そして巨大なだけではなく,荘厳さも兼ね備えた大聖堂です。全体を見て回るだけでもかなりの時間がかかりそうな広さです。カトリックの信者ならずともその偉大さを感じさせるものでした。
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 | これも,大聖堂の内部。クーポラの真下から上を見上げた写真です。大聖堂自体が十字型をしているのが良く分かります。現在の大聖堂が建設されたのは16世紀(新しい大聖堂の建設を決めたのはローマ教皇ユリウスU世です)。もちろん莫大な費用がかかり,教皇庁の財政は火の車。資金集めのために,免罪符なるものを発行し(免罪符の売出しを始めたのはユリウスU世の後を受けたレオ]世。彼はフィレンツェ・メディチ家の出身です。),これが後に引き起こされた宗教改革の一因となってしまいます。その結果,新たにプロテスタントが分立し,イギリスもローマ・カトリックから離れてしまいまいした。壮大な大聖堂がローマ・カトリックの権威を損ねてしまうという皮肉なことになったのです。
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 | 大聖堂の前のサン・ピエトロ広場で最後の記念撮影です。ヴァチカン市国は独立国家ですが,感覚的にはローマ市内の一部です。パスポートが必要になることもないし,国境を意識することもまったくありません(そもそも国境がどこだか分からない)。
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 | ローマで最後に訪れた共和国広場です。噴水が夕日を受けてとてもきれいでした。この付近でイタリアのお土産を買い,いよいよ日本への帰途につきます。ここで紹介したB班の日程では,天気が良好で,厳しい寒さに見舞われることもありませんでした。その後,全員無事に日本に帰ることができました。
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